何が起きていても統合を起こすのは自分だと再確認したこと

先日、電車に乗って座席に座った時に、目の前の中年の男性が隣の眠っている女子中学生の胸のあたりに腕を寄せている光景を見ました。

明らかに、男性の腕は彼女の身体に半分のしかかり、通常ではないことが起きていました。
「痴漢だ、、」

目の前に座ったわたしは、とりあえず男性の目と、男性の腕を交互に見つめて、眠っている女子中学生に被害が及ばない様にし、その上で、ザワザワする感情を手放し、心を整え続けました。

わたしの降りる駅まで3駅です。

それぞれの学びがあり、他者の人生を尊重するのはもちろんですが、そのままにして電車を降りることは、わたしにはできません。

このまま眠った少女を放置して降りることは自分自身に対して誠実ではない行為だと感じました。

女子中学生はカバンを膝の上にすっかり眠り込んでいます。

統合を起こし、さぁ、どう表現しようかと心に聞いた時に、
「降りる時にカバンが落ちそうよと言って彼女を起こそう。
そしてさりげなく男性の腕に触り彼女から遠ざけよう」と思いました。

それが1番わたしがスッキリする。

わたしに怒りがあれば「何しているんですか!」「この人痴漢です!!」という怒りからの行動になり、周りの人を巻き込み大騒ぎをするでしょう。

その男性は自分の非を認めることはありませんから、騒ぎは大きくなる一方で警察沙汰にもなるかもしれません。

関わる人にはそれぞれの学びがある。
他者の人生に上がらない。
高い視点でものを見るということを踏まえて、

何よりも、「目の前で何が起きていても統合を起こすのは自分だ」と深く再確認した数分間でした。

結果的に女子中学生はわたしが降りる駅の1つ前でいきなり目を覚まし駆け抜けるように電車を降りていきました。

空いたその席にはとても恰幅の良い中年女性が座り、痴漢をしていた男性を身体で押しのけているというファニーな場面も目撃して「クスっ」となりました。

日常を通して統合を起こしていくとは一瞬たりとも自分を見逃さないでスッキリとしていくことです。

簡単にわたしたちは自分の心をスルーします。でも小さなズレが重なり大きなズレになり、結果的に苦しみは自分に返ってきます。

現実は関係ない、見るのは自分の心、整えるのは自分の心、そしてその上でちゃんと表現をして、よりスッキリと心地良く心と感情を整えていくのです。

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