一喜一憂を完了する大切さ
あなたはどれくらい目醒めたいですか?
今の生き方を完全に辞めて目醒めようと思いますか?
わたしは何年も、本当に目醒めたかったのです。
「覚醒者」と言われる師のそばにいるのに、どうして目醒められないのかととても苦しかったのです。
わたしは誰よりも目醒めを望み、がむしゃらでした。
「目醒めないで死ねない」
自分の人生をかけるほどに目醒めたかったのです。
だから試行錯誤しながら目醒めのステップを構築し、反転がした時には静かな喜びとここからがスタートだと自分を律しました。
統合のステップの中では「一喜一憂を完了する」というステップがあります。
実はここが目醒めには1番大切なのです。
逆に一喜一憂を辞めることで目醒めへ大きく近づきます。
小さなイライラから大きな喜びまで人間は一喜一憂に溢れています。
その日の天気、タイムセール、昇進、時間ピッタリの電車、子供のいたずら、スポーツ観戦、お茶碗を割ってしまったり、お料理を焦がしたり、と上げたらキリがありません。
日常、自分の心を見ると出来事にアップダウンをし続けています。
その状態では「ただ起こっている」「中立の出来事」と離れてみることはできません。
でも多くの方がここでつまづきます。
日常の細部に渡る一喜一憂を完了することができないのです。
目醒めたいという気持ちを「こんなにも高揚感のある楽しさや喜びを手放してまで統合する意味があるのか、、」「こんなことをしなくても目醒められるのではないか」となります。
どの道を選ぶのも自由です。でも目醒めるためには人間の感情を完了しなければ目醒めることはできません。
一喜一憂を完了することが大切なのは現実をどこまでも俯瞰して、広い視野を持ち、それがどうして行なわれたか人々の学びを知るためです。それを知ることで人の在り方や、その他の関わり、地球のあらゆるカラクリがわかり、許しと無条件の愛へと繋がるからです。
マスターたちは人間の粗い感情を使いません。
いつも落ち着き、細部まで見通し、許しと慈愛を持ってわたしたちの学びを完了するための助言をくれます。
もう一度自分の心に聞いてみてください。
人間としてのすべてを完了してまで目醒めたいと思いますか?
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