「みんなはイタリアンに行くけど 私はお蕎麦屋さんに行くわ」は自分軸?
日本人には「自分がどうしたいか?」という軸がない 周りに流れされると言われています
私も「みんながイタリアンを食べたいと言ってきても お蕎麦を食べたいならそうするべきだ」
それが統合であり 自分軸だということをあらゆるところから聞きました
でもその行動が どうしても 「自分が無い」とは思えないのです
それは思いやりであり 協調性なのだと思うのです
同調圧力 自己犠牲という反対の意識からならばそう思うことはできる
けれど なんとなく腑に落ちない
と長年考えていたところ 「なるほど!!」という本を読みました
欧米では みんながイタリアンに行っても、自分がお蕎麦が食べたいから別行動を取る ということが当たり前らしいのです
そして周りもその行動を気にしない
これは日本人が「自分が所属するコミュニティ」との関係を大事にしていることに対して
欧米人は「自分と神」との関係を大事にしているからということです
欧米人のほとんどの方は何らかの宗教を信仰しています
対して日本人は特定の宗教に属していない方がほとんどです
誰かが「イタリアンに行こう」と言っても 自分の中で神との対話が行われます
日本人は所属するコミュニティと対話をします
信頼し 優先するべきものは神の意志という考え方が欧米のものであり
日本人はコミュニティを優先するのです
またこういった記載もありました
イジメに関して
欧米ではクラス全員がイジメるということはなく
ある一部からはイジメを受けても 違うクラスメートは声をかけるそうです
そういえば、海外の映画を見ても、イジメを受けている子 例えば スパイダーマンやハリポッターにも
声をかけるクラスメートが存在しています
自分と神との対話を重んじているので、神がイジメるなと言えばそうするのです
日本は所属するコミュニティと対話をするので一緒にイジメをするのです
これまで 私は「私は会議には出たくないから出ない」「飲み会には行きたくないから行かない」との行動をして その後、会社やコミュニティで居場所を無くしてしまった方を何人も見てきました
「日本人は自分が所属するコミュニティに重きを置くという文化」を頭に入れつつ
「ねぇ、イタリアン行こうよ」と誘われたら「お蕎麦食べたい、、、けど、、、今日は世界で一番ハッピーにイタリアンを食べよう!!」と楽しい時間を過ごす方法がありますよと私は皆様にお伝えします^^
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