煮魚からの被害者意識

かなり前のことですが 被害者意識の例えを考えていた時に思い出しました。

その日の夕飯は煮魚を作りました。
煮魚はパパと呼ぶ家族の大好物です。
「美味しいと言ってもらえると良いな」と「期待」をして、美味しく仕上がったサンマの梅干し煮にわたしは自信満々でした。

「レンジで500ワットで1分10秒くらいのチンだけど、温める時には言ってね」と伝えましたが、いつのまにかパパは自分でチンをしました。
500ワットを600ワットにして1分半 結果、煮魚はレンジの中で爆発しました。

「爆発しちゃった」と言われた時に(せっかく作ったのに!どうして言ってくれないの?500ワットって言ったのに。おまけにレンジまで汚して!)とわたしは心の中で怒りました。

わたしの食事は終わっていたので替えの煮魚はありません。

パパのために、せっかく時間をかけて作ったのに、大事にしてもらえなかった、ダメにされた、食べてもらえなかった、レンジを汚されて仕事が増えた!なんことしてくれたの?
とわたしの心は叫び、飲んでいたコップをテーブルに少し強めにカチャン!と置き「せっかく作ったのに」と言いました。

わたしはあなたによって被害を受けました!だから怒ります! 怒っているのを食器を強く置くことでアピールします!被害を受けたわたしを満たすために謝ってください!
という被害者システムが発動して私の警報器は鳴りっぱなしです。

パパに「ごめんね」と言ってもらい、わたしの心は満たされました。

こんなやりとり日々ありませんか?

被害者意識と無価値感と期待と失望が交錯して、謝ってもらい満たされる一連の人間ドラマ
という一人芝居で、出来事に対してステレオタイプに発動する感情のシステムです。

ここを知って、もうこの一連の感情を使わずに相手の学びを尊重し、自分を大切にするのが統合です。

今ならば、パパが煮魚を爆発させても「また作るよ」とサラリと伝えるでしょう。

統合を起こすって本当に平和なんです。

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