言葉の理解の限界と自分で気付いていく大切さ

流れる様に、軽やかに、「これ楽しそうだな、やって見たいな」という純粋な気持ちで生きることが大切です。

でもこの言葉だけでは限界があります。

「掃除をしたくないと純粋に思ったらしなくていいんですか?」というご質問がありました。

純粋とはそのままの言葉、濁りのないことです。
「やりたくない」の後ろにはめんどうくさい、どうしてわたしがなどの気持ちが潜んでいます。
だからここを手放して、大掃除は難しいけれど、一部屋だけ片付けよう、それがしたいからと心地良く動きます。

「純粋に〜したくないからしない」という言葉のマジックにはまらないで、綺麗な言葉は「〜したい」という心地良さで使って欲しいと思います。

さらに「何があっても外すのは自分ってことは、結局、統合をしている人が嫌なことがあっても折れて言いなりになるってことですか?」というご質問がありました。

何があっても外すのは自分です。平和に戻り、その上でわたしはどうしたい?と心に聞いて完全な自己責任で動きます。

こんな例えはいかがでしょう。

あなたの恋人は少々モラハラ気味です。でも、彼は高学歴、高収入、顔もあなた好みです。都内にタワーマンションを所有し、結婚をしたらあなたには専業主婦になって欲しいと言っています。
仕事が苦しいあなたにはこれ以上ない条件です。

でも、彼はことあるごとにあなたにダメ出しをして、他の誰かとあなたを比較します。

彼に変わって欲しいとあなたは思うでしょう。けれど、彼は「人を支配したい」「支配できている自分には価値がある」という無価値感を今回経験し、体験したいのです。

そんな相手の学びを書き換えようとあなたは右往左往しています。人は自分の学びを変えません。
どのような学びも長い輪廻の中で、いつか目醒めに向かうために大切なことだからです。

生き方を変えるのはその方が気付いた時です。

あなたは一旦すべてを横に置き、「この先もずっとモラルハラスメントの彼と一緒にいたいのか、手に職がないし、お金がないと生きられないからという理由で心に不平不満をためながら生きていくのか」と問います。

「わたしどうしたい?」

その先で「この先はわからないけれど自分の力で生きていこう」と思うか
「やっぱり我慢をして生きていこう」と思うか

結局、あなたが自分で覚悟を試しているのです。

逆に考えて見てください。

誰かがあなたを思い通りに変えようとしていたら嫌ではありませんか?
「どうしてわたしが変わらなくちゃいけないの?」と思うでしょう。

あなたが自分に「何があっても心を整えていく覚悟があるのか」と問いているのです。

それに気付くことが大切です。

わたしは過去に「何があってもあなたが手放すなら、わたしは思い切り愚痴と悪口を言えるから良かった」
「何があってもあなたが外すなら、仕事を一緒にしていてこんなに楽なことはない」と覚悟を試させたことがありました。

でも大切なのは外した後で「わたしにとってしっくりくることに動いていく」ことです。

もちろん手放して、変容したのでわたしはいかようにも大丈夫です。

けれど、悪口を聞くのも、恊働して仕事ができないのも平和ではありません。
だからわたしは言葉と行動で表現をします。

悪口と愚痴が好きな人は新しい仲間を見つけるでしょう。
恊働でないお仕事をする方も新しい世界へ入るでしょう。

それぞれが自分の望む世界に入っていきます。

言葉を思考で理解しようとすると問題を生み出します。

言葉だけでなく、実践で気付くことが大切です。

何があろうと外すのは自分だと信じていますか。
統合を起こすと決めていますか。
自分を信じていますか。

何があっても「統合された意識へ向かうこと、宇宙へ向かうこと」それだけをしっかりと意図してください。
それが宇宙の流れに乗るということです。

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