何があっても手放すのはわたし 鏡の法則

例え何があっても手放すのはわたしです。

例え見下されたとしても、言われのない中傷を受けても、手放すのはわたしです。

今日は鏡の法則をお伝えします。

見下されたのはあなたの中に「優劣があるから」
中傷を受けるのはあなたの中に「ジャッジがあるから」

あなたの持っているものが世界を映します。

同僚や後輩に見下されたと感じた時には「頭に来た、一言いってやろう」と思います。

でもそれがあなたの会社の社長だったら「一言いってやろう」と思いますか?
思いませんよね。
頭には来るけれど、文句を言うことはしないのです。

なぜでしょう。
「社長は上だから」です。
でも同僚や後輩は「同じ」もしくは「下」だから一言いうことができます。

ここに「優劣」、あなたの中の「見下す」という感情が隠れています。
優劣を手放して、すべて同列だと気付きます。

あなたが手放したので、あなたを見下した相手の感情もわかってきます。

相手も優劣をあなたに映し、さらに無価値感などのスパイスで現実を味わい深くしているのです。

中傷も同じ仕組みです。
「中傷された。頭にきた」とあなたが思った時、あなたも「中傷した人」と相手をジャッジしています。

あなたは手放し、「わたしもジャッジしていた」と気付きそのまま、ありのままを見ると決めます。
ただそう起こっているだけです。

人は優劣やジャッジに無価値感、罪悪感を加味して、見たい様に現実を見ているだけです。

鏡の法則は自分が持っているものを映します。
問題は同じ次元にいても解決しません。

唯一、その次元から抜けることが解決の道です。

見たい世界を感情というスパイスで味わい彩り、悪口や噂話しでさらに彩りを増していくこの世界は入り組んでいるけれど、わたしを整えていくだけでカラクリが見える実はシンプルな、単純な世界です。

揺れる感情は次の扉を開ける大事な鍵です。

ここまで手放してきたんです。
もうコツはわかっていますし、手放せることも充分に知っているはずです。

鍵穴に鍵を指して次の扉をあける、どんどん扉を開けて見たことのないほどに広い世界へとまた一歩近づく、目醒めの扉はあなたの前に無限に開かれていきます。

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